女ひとり 定年退職後の日々の暮らし

いつか行ってみたかった場所、いつかやってみたかったこと。その「いつか」が「いま」となり、実行に移す日々を綴ったもの。

退職して思うこと(12)~先輩が部下になった

相変わらず忙しい日々が続きました。


あるとき同時に、3つの製品開発プロジェクトがスタートしました。それぞれ異なるアジアの協力会社に設計を委託したものです。私は韓国の大手企業と組むことになりました、もうひとつは別の韓国大手企業で、残りの1社は自社と関連のある国内企業です。


3つの中で、予定どおりクリスマス商戦前に発表にこぎつけたのは、私のリードする製品だけでした。達成できたのは、韓国の設計チームのリーダーのおかげです。私もがんばりましたが、客観的に考えると、いつまでに何をやらないといけないか、どれだけの重要性があるかということを、相手にちゃんと伝えただけだと思います。少々大げさで脅しも入っていたかもしれません(笑)あとは、自社内での説明と交渉事です。


このプロジェクトの直後に、30代後半で課長に抜擢されて部下が数名できました。90年代の終わりごろのことです。

そのうちのひとりは、かつて私が入社試験を受けに地方から出てきた時に、夕方の食事会に、同じ大学出身の先輩社員として参加していた男性でした。となりの席で、会社の内情をいろいろと教えてくれたのを憶えています。ですから、彼にはこのときの現状が理解できなかったのでしょう。日々の仕事ぶりでも、不満そうな態度が伝わってきました。しばらくして、私の上司の計らいで、他部署に異動していきました。


このようにあからさまに反発する人もいましたが、中には、もともとフレンドリーで女性社員とも分け隔てなく会話ができる人がいました。私が昇進してからも、変わらず、昼休みに会社の周りを一緒に散歩したり、たわいないやりとりが続いていました。


彼をムードメーカーにすることで、チームをまとめることができることに気が付きました。ある意味、特異なチャラクターだと思いますが、彼のおかげで、課内の雰囲気も明るくなり、風通しも良くなりました。おかげで、年長の男性メンバーばかりの部署で、はじめての管理職の仕事をなんとかスムーズにスタートできたことに、今でも感謝しています。

先輩だった男性が、数年後に部下となることなど、外資系でなければそうそうあることではないでしょう。私にも、最初は大学の後輩として迎えた新入社員が、その後、スピーディーに昇進し、最後は事業部長にまで昇りつめた、という思い出があります。


ムードメーカーだった彼に、先日、街中で偶然に会う機会がありました。私より大ぶん先に定年退職を迎えていましたが、当時と変わらぬさわやかな笑顔で、愛車のバイク、真っ赤なドゥカティを駆って帰っていきました。Kさん、いつまでもお元気で。