女ひとり 定年退職後の日々の暮らし

いつか行ってみたかった場所、いつかやってみたかったこと。その「いつか」が「いま」となり、実行に移す日々を綴ったもの。

退職して思うこと(10)~ 係長になった

9月になって、英国工場のライン品質も落ち着き、日本に帰国しました。


あいかわらず技術力では、先輩や同僚には適いませんでしたが、英国での仕事が評価されて、小さなプロジェクトのリーダーに選ばれたり、海外工場との窓口係など、それなりに大事な仕事を任されるようになりました。自分が苦手な事は、できる人に依頼することができる立場です。

そうなると、チームメンバーや他部署の社員に動いてもらわなければなりません。ただし、上司ではありませんので、彼らに対して人事権がないのが弱いところです。頼まれる方は、当然、楽をしようとしますから、そこに攻防が発生します。


例えば、製品の動作に不具合があった場合は、担当者に解析を依頼します。進捗は毎日、関係者にチェックされますから、担当者はのんびりしていられません。すると依頼した側へ、いくつも質問を返してきます。「どこで発生しましたか?」「症状はどうですか?」などというのは、当然の質問ですし、すぐに回答できるものです。


しかし、「部品のバラツキ状況を教えてください?」など、数千台、数万台のサンプルがなければ判明しないような難しい質問も含めてきます。なぜそんなことをするのでしょうか?ズバリ時間稼ぎのためです。解析の進捗をチェックされたときに、「質問の答えが来ていないから、僕の解析が進まない」と言い訳ができるわけです。

そんなときは「その部品が、分布の両極端であっても動くように想定して下さい」と、ワースト条件をもって押し返します。そうすると、おのずと解析の難易度は上がります。従って余計なことは言わずに、さっさと不良品一台を解析した方が、彼にとっても良いわけです。


そんな交渉事のやりとりに、日々、悩まされながら仕事をしていました。そうこうしているうちに、人を使うのがうまいと言われるようになり、同期の仲間に遅れることなく、30代前半で係長に昇進しました。こちらはゲーム感覚で、知恵を絞って対峙していただけでしたが。そもそも外資系の実力主義の中で、出世競争などハナから諦めていた、パッとしないエンジニアだったのですから、人生は分からないものです。


プライベートでは、まわりの友人たちが次々と結婚していく年代です。遊び友達が減るのは寂しかったのですが、結婚の本質は良い面ばかりではありませんから、憧れはありませんでした。


たまたま休日の朝に、新聞に入っていたチラシを目にしたことがきっかけで、会社から電車でひと駅のところに、60平米のマンションを買いました。海外旅行やDCブランドの洋服に散財してしまって、貯金はほとんどありませんでしたから、30年の住宅ローンを組みました。固定金利で3.6%でした。数年前まで6~8%でしたから、当時はそれでも最低金利と謳われた時代でした。その後、ますます住宅ローン金利は下がっていきます。

新入社員のころから住んでいた眺望のない1DKの部屋から抜け出した記念に、リビングに、8人掛けの大きな北欧パイン材のテーブルを置きました。後に、二軒目のマンションに移ることになりますが、そのテーブルは、今でもリビングの中心です。このブログもそのテーブルの上で記しています。