女ひとり 定年退職後の日々の暮らし

いつか行ってみたかった場所、いつかやってみたかったこと。その「いつか」が「いま」となり、実行に移す日々を綴ったもの。

退職して思うこと(2)~ 就活

30年以上お世話になった外資系IT企業に入社できたのは、時代の波に乗ったから、としか言えません。


当時は、大学を出ても女子学生の採用はほとんどありませんでした。三年生の後半になると男子学生のところには、あちこちの企業から山程パンフレットが送られてきましたが、女子学生には1通も届きませんでした。採用窓口に電話しても、「大学卒の女子の採用予定はありません」と言われることなど当たり前でした。


ところが、いざ四年生になって動いてみると、すぐに数社の大手企業から内定がもらえました。バブル景気が始まったのです。

同じ大学出身の先輩社員2名の試験官と個別面接の後、近くの中華料理屋で夕食会があり、実質的な採用試験はそれだけでした。後に私も採用面接官を務めましたが、今はエントリーシートとよばれる申請書類に始まり、グループ討論会、プレゼン、面接、役員面接と、5段階ぐらいの審査がありますから、当時はずいぶんアバウドなものでした。


ちなみに、プレゼンは大学で勉強してきた専門的なことを咀嚼して、いかに素人にも分かるように説明できるかが第1のポイントです。相手のレベルに合わせて、”理解できたと納得して思わせる”ように話すのです。

アルバイトをがんばった話、海外でボランティアした話、起業した話をアピールしても、何十人も相手にする面接官にしてみれば、どれもありふれた話です。むしろ社会に対する考えが甘々で突っ込みどころ満載だったりします。例えばある年、インドで女性の自立を支援したことをプレゼンした学生がいましたが、単に現地で編み物制作を手伝ったことを貴重な経験として話していて、それが金銭面も含めて自立するまでの一連の段階で、どこにどう寄与するかまでは語れませんでした。

そうした経験ももちろん加点になりますが、学生の本分を忘れてはいけません。加えてもう1つ試験官の意見が一致したのは、おそらくいま受けたら自分は受からなかっただろう....と言うことです😅


話を戻すと、翌年の春、同期入社したのは1000人に昇りました。入社して半年間にも及ぶ、手厚い新人研修の末、10月1日に希望する職場に配属され、やっと日常の仕事が始まりました。数年はそんな時代が続きました。


当時は大量採用の時代でしたが、外資系ですから、定年まで残っていたのは1割にも満たなかったのではないでしょうか。多くの若者が新天地を求めて羽ばたいていって、いまや IT業界の重鎮のかなりの数を占めています。