女ひとり 定年退職後の日々の暮らし

いつか行ってみたかった場所、いつかやってみたかったこと。その「いつか」が「いま」となり、実行に移す日々を綴ったもの。

退職して思うこと(4)~ 新入社員のころ

半年にもわたる新人研修が終わって、いよいよ仕事が始まりました。


新入社員1千人の中から、同じ製品開発の事業所に配属された社員は100人程度でした。そのほとんどが、希望する類の部署に振り分けられたのですから、これも外資系ならではの合理性でしょう。特段の意図がなければ、本人の希望に沿った内容の仕事をさせるのが、本人にとっても、引いては会社にとっても良いのではないでしょうか。


希望どおり、製品開発の技術部門にエンジニアとして配属されました。新人には、それぞれ先輩社員の指導担当がマンツーマンで付きました。私にもチーム内でひとりの先輩社員がアサインされ、いろいろと面倒をみてくれました。ただ、この制度だと、どの先輩に付くかで、だいぶ成長度合いが違ってきます。女性社員ということで遠慮してしまったのでしょう。どうも周りの同期の男性社員と比べて、十分に指導してもらっていないと感じました。


半年ほど経過して、所属長に相談したところ、師従する先輩社員を替えてくれました。これも、合理的な判断のひとつだったのだと思います。新しい指導担当によって、ひとつひとつの仕事の説明や意義も、はるかに明確に指導してもらえるようになりました。自分のキャリアは自分で考える、状況を変えるには自分で動くこと、の大切さを早々に学びました。

私生活では、遠方への引越しと、初めての一人暮らし、社会人の3つがいっぺんに始まりました。ストレスで、少し痩せてしまいました。大学を卒業するまで、ずっと実家ですごしましたので、料理はおろか、洗濯、掃除もろくにやったことがありませんでした。会社からひと駅の私鉄沿線で、家賃5.8万円で1DK 6畳の部屋を借りました。駅に近く、鉄筋でしっかりした造りのマンションでしたが、日当たりや眺望はありませんでした。1階にコンビニのローソンが入っていたのが決め手でした。


同じく地方出身の、同期入社の友人もできました。休日は彼女と都会に遊びにいったり、英会話学校に通ったりしました。外資系なので、やはり英会話は必須です。また、母の実家が少し離れた海辺の町にあり、叔母一家が暮らしていたので、月一回程度は訪ねていました。いつも、温かい手料理で歓待してくれました。


こうしてスタートした会社員人生ですが、それから三十数年が過ぎ、無事に定年退職を迎えました。


現在は、自分の出身地でもある、その海辺の町で暮らしています。友人も、遊びにきたときに落ち着いた住環境を気に入ってくれました。同じく同期入社の旦那さんと、私と同じマンションの一室に引っ越してきて、ご夫婦で仲良く暮らしています。