女ひとり 定年退職後の日々の暮らし

いつか行ってみたかった場所、いつかやってみたかったこと。その「いつか」が「いま」となり、実行に移す日々を綴ったもの。

退職して思うこと(13)~女性登用

課長になって、いくつものプロジェクトを順調にこなしました。休日出勤や海外出張も多かったです。


いつまでもこの状態が続くのは大変だから、とにかく7年間だけがんばろうと自分で決めました。何となく勘で、ひとつの役職に留まっているのは、7年間が限度のように思えたからです。根拠はありませんでしたが、あとで振り返ると、本当に7年間でした。その後、同じ会社内ではありましたが、別の業務に就くこととなります。


課長になってしばらくすると、会社内で女性登用の動きがありました。米国本社から、女性の管理職の割合が、他国の支社と比べると日本支社が極端に少ないという指摘を受けて、改善命令が人事部門に下ったのでした。ですから、改善は本来、人事部門の仕事のはずですが。。。


社内では程なく、女性登用を推進するチームが組まれました。メンバーは社内の15名程度の、管理職の女性社員です。部署も事情もバラバラです。月一回程度の会議で、女性管理職を数年以内に増やすための目標値を作成して、そのための活動を行うことが目的の仮想組織です。会議は月一回ですが、それは結果を報告し合うようなものですから、活動は常時ということになります。私もしばらくするとメンバーに選ばれました。

中間管理職と言えば普段の仕事も特に忙しい頃ですが、さらにボランティアで活動が求められました。若手女子社員向けにキャンペーンの数百人規模のイベントを開催するときは、会場の予約から、当日の運営まで、何から何まで自分たちでやるのです。これには雑用を手伝ってくれる部下もありません。本来、頑張り屋さんが多いですから、休日に活動したり、夜中の2時、3時に打合せのメールを送ってくるメンバーもいました。


メンバーに選ばれることは輝かしいことでしたが、女性登用だから、女性で何とかしろといって負担を強いるやり方に、内心、違和感を覚えました。また、女性といっても状況はさまざまです。私のようにシングルで仕事をしている人もいますが、子供が2人いて・・・という社員も多くいます。キャンペーンの前面に掲げられるのは、いつも決まって後者です。家庭も子供もいて、尚且つ、仕事でも活躍しているというワーキングマザーでないと、若手が目指すべきロールモデルにならないような雰囲気がありました。子供のいない人、シングルの人は何となく居場所がないように感じていたと思います。


女性登用がワーキングマザーありきで語られる時代が早く過ぎればいいと思いながら、黙って働いていたのがこの頃です。


あれから20年余りが過ぎて、シングルの人やシングルマザーの数も増えました。ようやく最近になって、多様性に関する世の中の捉え方も少しは進んだように思います。